大先生の例のラーメン屋の喩え。やっぱしっくり来ないなww

 

俺が考えるにワグナーってまぁ前提として声優ユニットのWUGちゃんは愛していて、

ヤマカンに対する考え方とアニメ作品としてのWUGをどう捉えるかで細分化されてて

 

・ヤマカンの言動も含め全肯定。そして作り出すアニメも最高だよ(ヤマisGOD派)

・ヤマカンは色々問題あるけど、作品は最高だよ。そして困った人だけど、WUGちゃんも作品も愛してるんだよ。俺には分かる(うちのヤマカンがすみませーん派)

・ヤマカンは嫌いだけど、作り出すアニメは最高なんだよなぁ(悔しいビクンビクン派)

・ヤマカンは嫌いだけど、作り出すアニメはまぁまぁ面白いと思う。(穏健派)

・ヤマカンは嫌いだし、アニメも別にそんなに評価はしていない。けど頑張ってるWUGちゃんは応援したい派(あの娘達を人質にとられてぐぬぬ派)

・ヤマカン嫌いだしアニメも見ていないけどMONACA楽曲とかWUGちゃんの個人の活動から応援しているよ派(楽曲派、声優アイドル応援派)

・監督とか中の人なんて興味ない(知らない)よ(アニメの評価だけ純粋にするよ派)

 

これぐらい派閥がバラバラだし、おまけに新章に対してのヘイトとか出来栄えの所為で旧章を相対評価で過大に褒め称える傾向とかもあって、すげぇややこしいのに、大先生は全て一緒くたにしてワグナーは訳わからんこと言ってやがる!っていうから全然的を得ない例えになってる。

 

ヤマカン自身は発言から推察するに、WUGを作り出したのは俺である。俺が監督で全てを作り出したいわば創造神であり、声優ユニットとしてのWUGもまた自分自身の制作物であり、アニメの付随品であるという考え方だと感じる。それに対してワグナーは上記のようにバラバラではあるけれど、そういう捉え方をしている人も一部いるとはいえ、基本的にWUGアニメと声優ユニットのWUGちゃんを別個の物として評価しているので、そこがわからないヤマカンには永久に理解できない行動に映るのであろう。また、あいつは創造神ぶってるけど、実際のところ監督が全て偉い訳ではなく当たり前だけど脚本を評価している人、絵を評価している人、楽曲を評価している人なんてバラバラなのに、全て自分の手柄であり作品と思い込んでるからこういうピントの外れた例えがでてくる。新章がもうちょっとまともなところでちゃんと作られたら(ついでに旧章が終わってすぐに展開していたら)もう少し違った未来もあったかもなので、どちらにしてもWUGちゃん達は色々ハードモードだったよなそれでもあそこまで次頑張ったのはすごいね。素晴らしいという評価になるし、それがヤマカンは理解できないから発狂するという無限ループ。境界線ですよ。